私の「お兄ちゃん」

「ねえ、カインお兄ちゃん! 次はあっちに行ってみよっ!!」
「判った判ったって。だからあまり引っ張っちゃダメだよ、サラ」

うなじで一括りにした緑色の長髪に、切れ長の瞳は深紅。その長髪と揃いの色のマントに身を包む青年。 彼の名は、カイン・ヴィクトリィ。
この世界に大勢いる術士、神霊士プラーナーの中でも、風の力を行使する神霊士プラーナーである。 彼は今、一人の少女に手を引かれて街中を迷走している。
カインの手を引くのは、明るい水色の長髪をポニーテールに束ね、愛らしく円らなライトブラウンの瞳。
そしてその髪の同色のマントをその肩に羽織っている少女である。
彼女の名は、サラ・ブイ。
彼女もカインと同じく神霊士プラーナーであり、彼女は水の力を行使する。

もっとも、今現在のサラには違和感が感じられる。この違和感は普段の彼女を知っていれば顕著に判るものであるのだが。

言葉遣いが彼女の容姿と合っていない。さらに詳しく言えば…言葉遣いが幼すぎる。
つまり、年相応の喋り口調ではないのだ。もっとも、これにはきちんとした理由があるのだが。

時は、四日ほど前に遡る。

カインとサラは、自由冒険者支援連盟フォーレスツ・サポーターを経由して遺跡調査団からのミッション依頼を受けていた。
遺跡に向かう道中、及び遺跡内における各種危険からの警護、そして遺跡調査協力の依頼である。
特にさしたる問題もなく、契期満了の前日にその事件は起きた。

調査員の一人が、遺跡に封じられていたであろう悪魔の封印を誤って解いてしまったのだ。
幸い、その悪魔はカインが滅したのだが、その際にサラが調査員を庇って呪いを受けてしまったのである。
呪いを受けたサラは昏睡状態に陥ってしまったため、急いで調査を終了し、依頼を受けた街まで戻ってきた。

依頼を受けた街まで戻り、依頼完了の報告を自由冒険者支援連盟フォーレスツ・サポーターを行い、すぐさまカインは宿を取ってサラを安静にさせた。
幸いな事に、一日ほど休ませていたらサラは目を醒ました…のだが、今のような状況に陥ってしまった、というわけだ。
さらに厄介なことに、呪いの影響でサラは一時的な記憶喪失に陥っていた。
どうしようもないので、カインはサラの容体が落ち着くや否や、神霊士連盟プラーナーズ・ギルドを通して呪いの類に詳しい者にサラの容体を見てもらう事にした。

「はぁ…どうするか…」
呪いの専門家にサラを診てもらい、彼の家を辞した直後、カインは思わずため息をついていた。曰く。
『呪い自体は強い物じゃない。彼女が目を醒ましたのもそれ故なのだが、逆に呪いのかかっている間は解呪出来ない、ある意味で厄介な代物。
ただし、さっきも言ったように呪いの効果そのものは強い物じゃないので、三日間ほどで呪いは自然と消えるはずだ』とのことだった。

三日間以内には確実に呪いは消える。しかし、逆を返せば三日間は呪いが消えない。そして、呪いには何の対処方法もない。
ある意味、絶望的な状況だった。宿に戻ってきたカインに、どっと疲労感が襲い掛かる。
そのままベットに身を横たえた刹那ののちに、カインは意識を失うかのように眠ってしまった。

一刻ほど後に、カインははっと目を醒ました。ふと気づくと、部屋にあった予備のブランケットが掛けられていた。
その脇では、サラは宿に置いてあった娯楽誌を読んでいた。カインが目を醒ました事に気付く。
「お兄ちゃん、起きたの? 大丈夫? お病気じゃないの?」
短時間とはいえ、倒れるように眠ってしまったカインを今の彼女なりに気遣ったのだろう。
ほんの少しだけ涙目になりながら、サラがカインの顔を覗き込んでいた。
カインはそのサラの姿を見て苦笑しつつかぶりを振って、サラの頭を撫でていた。
「ありがとう、もう心配ないよ。大丈夫だ」
頭を撫でられたサラは満面の、無邪気な笑みを浮かべる。

カインはサラが記憶を失っていたことをふと思い出したので、聞いてみる事にした。
「そう言えば…自分の名前は判るかい? そして、俺の名前は判るかい?」
サラはカインの問いかけに首を傾げながらも答えた。
「私の名前は判るよぉっ。私はサラ・ブイ。お兄ちゃんの名前は…判らない」
「やっぱり…ね。ま、自分の名前を憶えていただけでも良かったとするか…」
予想よりも少しだけいい答えが返ってきた事に、ほんの少し安堵するカイン。しかしどこかでガックリしたらしく、ほんの少しだけ肩を落とす。
「ま、いいか…とりあえず、俺の名前を教えておくね。俺の名前はカイン。カイン・ヴィクトリィだよ。カインって呼んでくれると嬉しいな」
小さな子をあやすかのように、記憶を失ったサラに自分の名前を教えるカイン。サラはカインの事をじっと見つめながら。
「カイン…お兄ちゃん?」
サラの問いかけに、カインは微笑みながら頷き返す。
「それで…カインお兄ちゃんは、なんで私と一緒にいるの?」
何気ない質問にカインは一瞬ギクリとなるが、内心の動揺を抑え、落ち着いた表情で答えを返す。
「サラのお父さんから、ちょっと仕事でこの街にはいるけど三日間くらい会えないから一緒にいてくれ、ってお願いされてるんだよ」
「そっか、私のお父さんに頼まれたんだぁ…」
カインは、思わずとっさに嘘をついた。と言うよりも、それ以外に今のサラを納得させられる術を持ち合わせていなかった。

気が付けば、もう夕刻だった。カインは気が緩んだところで、自分が空腹な事を思い出す。
朝から奔走していたせいで、まともに食べ物を口にしていなかった。見たところ、それはサラも同じようで、しきりにカインの事を見上げていた。
「お兄ちゃん、お腹すいたよぉ…」
ほんの少しだけ、べそに近い声を出してきた。カインも自身の空腹があったので、微笑みを返しながら。
「俺もそういえばお腹ペコペコだよ。ちょっと早いけど、下にある食堂で夕飯にしようか」
「はーい」
返事が早いか、サラはカインの手を掴んで早く行こうと急かす。カインも苦笑しながらサラに着いて行く。

幼いサラは、思いのほか食事のマナーがしっかりとしていた。やはり、アストアタウンの町長の娘故、といったところなのだろうか。
「ごちそうさまでしたぁ!」
礼儀正しく挨拶をして、部屋に戻るサラ。カインも後を追って部屋に戻る。
部屋に戻るや否や、サラは寝間着に着替えようとしていた。さすがにこれにはカインも顔を真っ赤にして、慌てて部屋を飛び出す。
なにせ、幼体になっているのはあくまで精神だけなので、肉体は普段のサラそのものなのだから。
とりあえず、廊下で待つから着替え終わったら教えて、とだけ壁越しに言う。サラも二つ返事で部屋越しに返事を返す。
「はぁ…焦った…」
思わず脱力するカイン。想像もしていなかったハプニングだ。程なくして、壁越しから着替え終わったよという声。
いきなり降って湧いたハプニングに若干ぐったりした様子で部屋に入るカイン。自分も寝間着に着替えなくてはいけない事に気付く。
そこでカインはサラにいいよと言うまで眼を瞑らせて置く作戦を取った。作戦は見事に成功。サラは、そのまますやすやと眠ってしまった。
着替えが終わったカインもなんだか気疲れしてしまい、そのまま眠ってしまった。

夜。ふと、部屋の中で何かがもぞもぞと動く気配がする。カインは何となく眼を開け、部屋の中を見回そうとした。
すると、カインの枕元にサラが立っていた。サラは泣きべそをかいていた。
「サラ、どうした?」
「怖くて寝れないの…カインお兄ちゃん、一緒に寝てもいい?」
「…やれやれ。いいよ、こっちにおいで」
カインは苦笑しつつサラを自分のベッドに招き入れた。言うが早いが、サラは満面の笑みでカインのベッドに潜り込み、横になる。
それを見てカインも微笑みながらベッドに身を横たえる。身を横たえて暫し。カインは自分を見つめるサラの視線に気付く。
「カインお兄ちゃん…カッコいい」
カインがサラを見た瞬間、サラは言うが早いかカインの頬にキスをした。
そしてそのままカインの腕にしがみ付くと、安堵のの表情を浮かべてスヤスヤと眠りに落ちた。
(─やれやれ)
カインは安らかな寝息を立てるサラの頭をそっと撫でてやり、自分も眼を閉じた。

翌朝。

「カインお兄ちゃ〜ん! 朝ですよ〜!!」
サラが元気に起こしてくる声が聞こえる。カインもサラの声で意識が覚醒する。身を伸ばして首を回す。カインの寝起きの時の癖だ。
「おはよ、サラ。よく寝れたかい?」
カインの問いかけに、サラは元気良く頷く。カインもサラの頭を優しく撫でる。

「お兄ちゃん、今日はどうするの?」
「そうだね…今日は天気もいいし、一緒にお出掛けでもしようか?」
「わーい! カインお兄ちゃんとデートだぁ〜!!」
「あ、でもその前にもう一度昨日の先生の所でサラの事を診察してもらうんだけど、それが終わってからでいいかい?」
「はーい」
サラは元気な返事を返した。

予定通り、昨日診てもらった呪術の専門家にサラを診察してもらう。
呪いはかなり解けているので、何かのきっかけで呪いが解けるかも知れない、との診断だった。
この診断を聞いて、カインは少し安堵した。診断を終えて、サラの待ちかねていた散歩に繰り出すことにした。
「さ、それじゃあ約束通り、お出掛けしようか。サラ、どこに行きたい?」
「う〜んと…お腹減っちゃった。何か食べたいなぁ」
「うん、判った。それじゃあちょっと早いけどお昼ご飯にしよう」
「はーい」
近くにあった大衆向けのレストランに入って昼食を取った後は、サラが行きたいがままにしていた。
本屋に行ったり、アクセサリー屋に行ったり、喉が乾いたら露店でジュースを買って飲んだり。
心底楽しそうにするサラを見て、カインも自然と笑顔が浮かんでいた。
(俺に妹がいたら、こんな風になっていたのかな…)
ふと、もし自分に妹がいたら、を想像してしまい、苦笑するカイン。そんなのどかな午後の街並みに、突如、怒号と悲鳴が響く。

「ま、魔物だ…!!」
「早く逃げろー!!」
「戦える奴は前へ出ろ! 少しでも街への侵入遅らせるんだ!!」

「くそ、よりによってこんな時に…!」
あまりのタイミングの悪さに、カインは思わず毒づく。とにかく、早く魔物を退治して街への被害を減らさねば。
しかし、傍らにはサラがいる。今の彼女は戦う事は出来ないだろう。
カインも一瞬サラの手を放して戦いに行こうとしたのだが…サラが怖がってカインの手を離さないのだ。これでは戦えない。
そうこうしているうちに、数匹の火蜥蜴蜻蛉サラマンドフライがカイン達を見つけ、一斉に火球を吐き出してくる。
「ち…ッ!」
カインはサラを抱きしめ、横っ飛びに火球を避ける。しかし、着地の際に爆風に煽られ、サラが転んでしまう。
転倒した際に石の破片に頭をぶつけたらしく、額が切れて血が滲んでいた。

「許さん…ッ!!」
サラを傷つけられた事がよほど癪に障ったのだろう。あからさまな怒気を火蜥蜴蜻蛉サラマンドフライに向ける。
風撃砲ウインド・カノン!」
風の気法で風球を生み出し、火蜥蜴蜻蛉サラマンドフライに放つ。
カインの放った風球は立て続けに火蜥蜴蜻蛉サラマンドフライを叩き落としていく。
また、気法の詠唱をカバーするために投げたブーメランが数体の火蜥蜴蜻蛉サラマンドフライの頭部を纏めて斬り飛ばす。
(くそ…さすがに一人じゃキツい数だ…!)
あまりの数の多さに、胸中で毒づくカイン。しかしそれでも目の前の魔物の群れに掌を構え、気法を放とうとしたその刹那。

鞭水閃ウォーター・ビュート!」
誰かが水の気法を発動させ、鞭状の水刃で魔物の一体を真っ二つに斬り裂いた。
あろう事か、その水刃は、先ほどサラが倒れた方向から飛んできた。
「…まさか」
カインは期待を込めて背後を振り向いた。すると、凛々しくも可憐な、一人の水の神霊士プラーナーが気法を発動させた直後の体勢のままで佇んでいた。
「カイン、大丈夫!?」
「…サラ!!」
どうやらたった今転倒した衝撃で、呪いが完全に解けたようである。記憶も取り戻し、幼体化していた精神も元に戻っていた。
サラがカインの元へ駆け寄ってくる。
「カイン…気付いたら魔物の群れに囲まれていたんだけど…これはなんで?」
「詳しい話は後だ…今はこの場を切り抜けるぞ!」
「うん、任せてッ!!」
カインとサラは、街を襲っている魔物の群れに切り込んだ。

半刻後。街に侵入してきた魔物の殆どをカイン達が退治した。幸いな事に、街にはあまり大きな被害は出ていなかった。
落ち着いたところで、適当な喫茶店に入って喉を潤しながら、カインはサラに今までかかっていた呪いの事を話した。
「それで…私がカインの事をお兄ちゃん、って呼んでたの?」
「ああ…いろいろと大変だったよ」
「小さかった私は…カインに迷惑かけなかった…?」
「本音を言えば…ちょっと。けど、とってもいい子だったよ、サラは」
「もう…またからかう」
ひとしきりカインに事の顛末を聞き終わり、ややからかい気味に締めくくられた時はさすがにちょっとふくれっ面になる。
「けど、迷惑かけちゃったね…ゴメンね、カイン。今日は、私がカインに夜ご飯、ご馳走させて?」
「うん、判った。ありがとう、サラ」
「フフッ、気にしないで。さ、行きましょっ、カインお兄ちゃん・・・・・
思わず言われた『お兄ちゃん』という単語にちょっとびっくりしたが、いつものサラに戻った事に安堵したカイン。
けど、もう少しあのままでもよかったかな、などと思っていたのは内緒の話で。

F        I        N


†筆者あとがき†

久々に書いたショート・ショートです。
1年間も更新を放置してしまったのでリハビリも兼ねて書いてみました。
『サラちゃんにカイン君をお兄ちゃんと呼ばせる』という危険極まりない妄想ネタをたっぷりと注ぎ込んだ作品に仕上がってます。(核爆)
それを受けて、サラちゃんがいきなり幼稚化してしまって、カイン君を困らせよう、というシチュエーションを目指してみました。
けど、ただ体を幼稚化させて精神はそのままだといろいろと前例があるのであまり面白くない。
そこでいっその事肉体はそのままで精神だけ幼稚化させるという前代未聞のシチュエーションにしてみたのですが。
なんか、カイン君が普通に優しいお兄ちゃんになってしまいました。(核爆)
ヤバい事に精神だけ幼くなったサラちゃんの口調が書いているうちにだんだんと可愛く思えてき始めました。危ないところだった。←
これ以上書くとひたすら突っ走ってしまいそうなので(←)、この辺であとがき終わりとさせていただきます。

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